1872年(明治5年)、横浜港に入港したペルー船"マリア・ルス号"。船には騙され奴隷として乗せられた清国人(現:中国)が231人もいた。救助を求める彼らに対し日本政府は「治外法権だ。国際問題になっては困る。放っておけ」と。
しかし人道主義を貫き、立ち向かった日本人がいた。外務卿の副島種臣と神奈川県権令の大江卓。二人の行動が周囲に与えたものとは?
怒涛渦巻くマリア・ルス号事件、後半に突入!
マリア・ルス号の乗員(清国人)を解放するべく、神奈川県庁では裁判が続いていた。
しかし、裁判に同席していた各国領事達の見解は、外務卿(がいむきょう)・副島種臣(そえじま たねおみ)と神奈川県権令(ごんれい)・大江卓の思いとは裏腹なものだった。
7月26日、ドイツ、オランダ、デンマーク、ポルトガル、イタリアの各国領事は「日本の行為は度を過ぎている。越権行為だ」との意見書を、裁判長を務める大江に送った。日本はペルーと友好条約を結んでいない。しかも奴隷は清国(中国)人だ。助けた所で日本は何の得にもならない。おまけに副島と大江以外の日本政府陣は、これを厄介な問題としか捉えておらず手を引きたいと考えているのだ。
各国領事にしてみれば、なぜ副島や大江がそんなにマリア・ルス号にこだわるのか、不思議だったにちがいない。しかし大江はそんな意見を振切り、7月27日に判決文とも言える「吟味目安書(ぎんみめやすしょ)」を読み上げた。その内容は「日本は、マリア・ルス号の一件において、船内の清国人が売買された奴隷か否かを審議する権利は保有していない。
しかし、船内において、事実その自由が著しく侵されているとするならば、日本国内に居住する他の外国人と同様に彼らにも自由を与えなくてはならない。この判決に異議のある者は裁判所に上告する権利を与える」というものだった。
この判決により、マリア・ルス号の船長ヘレイラは有罪、清国人231人は晴れて自由の身となる事が出来たのだった。しかしその頃、外務卿・副島種臣のもとには各国から書簡が届いていた。神奈川県で起ったマリア・ルス号事件に各国の思惑が絡みつつあった。
フランス公使コント・デ・チュレンからは「日本はペルーより多大な賠償金を請求されるのではないか」と日本を案ずる書簡が。ポルトガルのマカオ兼チモール提督のヒスコンド・ド・スヤニワリヨからは「マリア・ルス号の取り扱いは不正である。船内の問題はペルーに任せるべきだ」と。これに対して副島は「この裁判の目的は清国人乗員を正義および仁義にしたがって保護することであり、ペルーと日本政府の問題だ。貴国が関わる事ではない」と回答した。
また7月28日には米国公使チャルロス・イデロンクから「船の付属品は船のものであり、清国人は船に返してもらいたい」との書簡が届いた。これに対して副島は7月30日、この様な回答を出した。「米国公使より差し出された文書は受理し難い。それはマリア・ルス号の乗員たちに戻る意志がないからである」と。副島は人道主義を貫き、大江と共に事件の解決に向けて毅然とした態度で臨んでいた。
一方、有罪となった船長ヘレイラは9月2日、中国人を被告として「契約不履行」を申し出るも敗れ、マリア・ルス号から解放された清国人は、帰国に向けて心弾ませていた。そして9月13日、彼らを迎えに来た、清国の特使、陳福勲(チン・フックン)と共に231人の清国人が帰路に就いた。
その後、横浜在住の華僑達からは副島と大江に感謝の意を込めて"お礼の大旆"(たいはい:昔中国で将軍が用いた大きな旗)が贈られた。騙され奴隷として乗船させられた清国人は、副島と大江の尽力で無事本国に帰ることが出来た。
これで、マリア・ルス号に関する一件は終わったかのように見えたのだが…。
翌、1873年(明治6年)になって、マリア・ルス号事件は再び勃発した。船長ヘレイラではなく、今度はペルーの全権大使オーレリオ・ガルシアが、大江の判決に不服を申し立ててきた。大江はその後も神奈川県権令を務めていたが、一国の全権大使ともなると、もはや大江では対応が出来ない。日本側で対応したのは、外務卿副島だった。
ガルシアは徹底して裁判の無効を主張した。むろん、副島も黙って引き下がってはいなかった。しかし、いつまで経っても結論は出ず、副島は「それならば他国に判断してもらうのはいかがか」と提案。国際法に基づき、国際調停裁判に持ち込まれる事になった。
日本政府にピンと張り詰めた緊張感が漂う。この国際裁判で日本が敗れれば、賠償金どころが日本は国際社会から弾き出されてしまう可能性さえあり得る。「どんな結果になるのか…」 これは日本以外の各国も同じ思いでいた事だろう。
日本は、各国領事から「越権行為だ」とさんざん抗議されても人道主義を貫いた。世界中がこの事件の顛末を見守っていた。副島とガルシアは6月29日、マリア・ルス号事件についてロシア国皇帝に全てを委ねることにした。
そうして、いよいよマリア・ルス号事件は大詰めを迎えるのである。
明治8年、ロシア皇帝アレクサンドル二世を裁判長として、当時ロシアの首都であったサンクトペテルブルグで行われた国際裁判は英国、米国、フランス、オランダなどの大国が見守る中で開かれた。
そして裁判長が出した判決は「日本国がとった行為は、国際法から見るならば問題点が数々あれど、人道上の立場から今回の事件に関しては、日本は何ら責任を追及される事はない。むしろ、日本国がとった行為そのものが当然のことであろう」という日本の勝訴だった。
日本の行為が国際社会に認められた瞬間だった。そしてそれは外務卿・副島種臣と神奈川県権令・大江卓が貫いた人道主義が認められた瞬間でもあった。
マリア・ルス号事件が起ってから、すでに140年余り。日本は国際社会から攻撃される可能性のある事件だったにも関わらず、騙され自由を拘束されて苦しんでいる人々を解放したという事実は、日本として名誉ある行為であった。
また日本国内においてもマリア・ルス号事件をきっかけとして、遊女を人身売買だと認め禁止に踏み切らざるを得なくなった事は、歴史的に見てもまさに日本の人権意識のあけぼのといっても過言ではない。
とかく、日本人は人権感覚が鈍いと国際社会からは批判されがちだが、その日本で近代文明のまだ入口の時代に、この様な偉大な行為がなされた事はとても誇らしい事だ。
「ボランティア」と聞いて、皆さんは一体どんなことを想像するでしょう。
自分の生活を犠牲にして、どこかの団体やグループに参加して行う(たとえば募金活動だったり、公園の掃除だったり…)奉仕活動、こんな風に考える人がほとんどですよね?
それも一つの方法であって、もちろんボランティアですが、本来のボランティアの意味は、社会をより良くするための活動を
1・自分から望み、希望して行動すること、
2・すすんで引き受けること、
3・自発的に行うこと、
なのであって、つまり、自分に出来る事を、自分に出来る範囲ですすんで行う事がボランティアなのです。
しかし、日本では、ボランティアというと、犠牲をはらってどこかの団体に参加して活動すること、と考える人が多いのではないでしょうか?
だから時間がなかったり、生活に余裕がない人は出来ないんだと、かんちがいする人がとっても多いのです。 その上、ボランティアなんていうと何だかすごい事をしなくちゃいけない気がする人もいますよね。確かに、中には「国境なき医師団」のメンバーのように、世界中の紛争地に出向いて傷ついた人の手当てをする、というボランティアもあります。現場で活躍するためには資格や語学力が必要です。誰にでもできるボランティアではありません。
けれど、そうでなくとも自分の身の周りで出来るボランティアがきっとあるのでは?
ボランティアの意味は最初にも言ったように、社会(自分や自分の周り、つまり町や学校ナドの事。)を良くしたい!と思って、自分から望んで何か活動する事、ですよね?たとえば、たばこの吸い殻を拾ったり、お年寄りや身体の不自由な人の荷物を持ってあげたりです。
ボランティアと言ってもさまざまで、団体に参加して何かするのもいいけど、でも、自分からもっと町をきれいにしたい!と思って一人ででもごみひろいをすれば、それも立派なボランティア活動です。
大切なのは、「自分の周りでおこっている困ったことを、何とかしたい!」という気持ちなんです。そこからボランティアが始まるのではないでしょうか?
その気持ちがあって行動するのなら、場所や内容が違っても「国境なき医師団」も、そこの「あなた」も同じボランティア、どっちがえらいとかすごいとか、ボランティアに順位はないのです。
さぁ、何か今の自分にできるボランティアは見つかりましたか?
NGOとは英語のNon - Governmental - Organizationの頭文字をとった略語で、国際連合で使用され始めた事から一般に広く用いられるようになった言葉です。
日本語では「非政府組織」や「民間団体」等と訳されることが多く、政府組織以外の全ての組織や団体を意味する言葉です 。しかし、実際には非営利を目的とし、企業と政党などを除いた「民間の非営利組織」と定義されます。
NGOの中には、経営者団体、労働団体、宗教団体、そして市民団体などが含まれます。
しかし、今日、日本を始め世界各地で注目を集める NGOとは市民の自発的(ボランティアリー)な行動が基本となり運営される市民組織のNGOです。数多くの問題を抱えるこれまでの行政中心・ 行政主体の社会環境づくりではなく、ボランティアイズム(自ら考え・自ら行動する)にのっとり社会の公益を求め、より良い社会づくりに 励む組織・団体がNGOなのです。NGOという(各々の規模や活動目的は異なるにせよ)市民組織が社会から多大なる期待を集める要因はこのボランティアイズムにあると言えます。
一般に良く知られているボランティアの人々とNGOを比較すれば、ボランティアと呼ばれる人々は原則的に無償(他に職を持つ為)でボラン ティアイズムにのっとり社会のため活動をする人々のことです。
NGOとは、そのボランティアの方々が行うボランティア活動を職業とし専門的に 活動を行う人々の集まりです。 これから更なる価値観の多様化やグローバル化が進むと国際的な流れにあって、市民一人一人の支えの基で成り立つNGO活動は重要です。
これから日本でも、自ら考え・自ら行動するというボランティアイズムを軸に活動を展開するNGOは、社会づくりを考える上で、大きな役割を果 たすことが期待されます。
国連NGO 横浜国際人権センターでは、啓発活動の一環として、国境なき医師団の活動を教材の一部に取り入れ、神奈川県内の公立の各学校に出向き「人権移動教室」を行ってきました。
国境なき医師団の活動を多くの方に知って頂き、そして支援する為に、「国境なき医師団活動報告会」や「パネル展と募金活動」も行って来ました。
では、多くのNGOがある中で、どうして「国境なき医師団」を支援しているのか?こんな疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。実は、国連NGO 横浜国際人権センターが国境なき医師団を支援するのには大きな理由があるのです。
私達は「人権尊重とは、お互いの命を大切にする事、お互いの命を守る事」だとして、国内外の人権問題に携わり、或いは講演会や研修会という形で、人権意識の高揚を目差し活動をしてきました。一方の、 国境なき医師団は、世界各地で紛争や自然災害が発生すると、被災地の難民キャンプなどに出動して、人種・宗教・思想・政治などのあらゆる枠を越えて、医療を中心とした援助活動を行っているNGOです。
国連NGO 横浜国際人権センターは、この「自らの命をかえりみず、何らかの理由で差別することなく、困っている人々の命を助ける」との基本精神に共感し、国境なき医師団の広報・支援を活動の一つとして取り入れる事にしたのです。
しかし、ただ共感したから支援するという訳ではありません。国連NGO 横浜国際人権センターと国境なき医師団には、「人権尊重」という共通した理念があるからこそなのです。それを、センターは、啓発という形で、一方の国境なき医師団は、世界の被災地や難民キャンプなどで、医療援助という形で訴え実行しているのです。
すなわち、私達2つのNGOは、その活動内容は異なっても、人間の最も基本的で平等であるべき「生きる権利」や「命の大切さ」(人権尊重)を世界中の一人一人に投げかけて行きたいと思っているのです。
国境なき医師団の行っている、被災地での救援活動は、並大抵の事ではないでしょう。ならば、その活動を世に知らせ、支援していく事こそ、同じく「命の大切さ」を理念に持つNGOとしての使命なのだと国連NGO 横浜国際人権センターは考えています。